『ヒトクイマジカル 殺戮奇術の匂宮兄妹』西尾維新

そもそも、西尾氏が書いているのは、ミステリィなのか、それともライトノベルなのか。
そんな疑問は持つだけ無駄である。
これは大抵の「分類」に言える事であるが、
そもそも、「分類」とは、「同じようなものを纏めると便利だよね」という発想から生まれたもので、
同じようなものを纏めて便利にならないようなもの(例えば小説)を分類する価値は無い。


だから、「生きている」「死んでいる」のカテゴリ分けは、必要なのか、否かといったら、
まあ必要では有るだろうが、しかしそれよりも
必要なのは「情報交換が出来る」「〜出来ない」のカテゴリだろう。
誰もいない深い森の奥で木が倒れたとき、音がするか否か?
という質問(どちらかと言えば禅問答)があるが、
しかしこんなことは考えるだけ無駄である。それと同様だ。


メタ的に見れば、物語の外側にいるのは、作者であり読者だ。
そう、作者が持っているのは神の如き特権で、
人類最強の赤い人だって作者にとっては単なる登場人物の一人に過ぎない、
たった一行で殺すことだって可能だ。
そして、読者だって、「その物語を読まなければ登場人物は誰一人死なない」ことに気付くべきだ。
物語を読んだ時点で、その物語は作者の手を離れ、
読者の中に吸収され融合され再構築される。
それが物語を「読む」ということで、物語の外側からの傍観者としての役割だ。
その役割を、『登場人物』が求めているなんて、これはとんだ皮肉である。