マーガレット・ハンドレッド / 神科戯華『True or False ?』

[零]
 人を殺したことなどなかった。
 それは妄想の内?
 「実際に体験したことでなければリアリティが出ない」という妄想否定論者に対する反論「それじゃあミステリィで殺人を描くために、作者は人を殺さなければならないのか?」。全く馬鹿馬鹿しい。リアルとは何か。ファンタジィとは何か。人の死とは何か。人の生とは何か。正しくそれを認識出来ていない。
 現実には不可能なトリック。現実には不可能な人の死。私たちが求めているのは、現実ではない。虚構だ。


[壱]
 自らに宿る途心を使って、剣を具現化する。今まで何度も繰り返してきた創造。無意識の海の中、心臓の鼓動にも似た、生を望むための波形、それを無理矢理ゆらがせて、歪める。そのゆらぎは、やがて大きなうねりとなり波となり一つに収束し、脳のイメージを現実に定義する。
 「オーロラメモリー」。人はそう呼ぶ。私はその言葉を知るまで、それは自分の中にあると思っていた。この力は自分だけのものだと思っていた。私は誰に教えられることもなく途心から剣を具現化出来た。これは私だけの秘密だ、誰も持っていない、私だけの力。そう思っていた。けれども、学校で途心の具現化方法及びオーロラメモリーへのアクセス方法を教えられ、それは自分だけの力ではないことを知った。


 私は特別な人間ではなかった。


[偽]
 自らに渦巻く「死」のイメージ。それを具現化した剣。形状は、手のひらに収まるくらいの小さな小さな、ほおずきのような深紅のナイフ。これが彼女の「デス剣」だ。


[真]
 途心の制御を学ぶ授業は、初めは決して楽しいものではなかった。自分だけの力が、他の生徒も使えるようになるのは気持ちの良いものではなかったから。しかし、塞ぎ込んでいる暇などなかった。何故なら、最初こそ、もともと剣の具現化が出来た私が最優秀だったのだが、途心の制御のコツを掴んだ他の生徒がつぎつぎ私を追い抜いていったからだ。私はと言えば、ずっとデス剣しか具現化してこなかったせいで他の剣の具現化が出来ず、ずるずると成績は落ちていったのだった。


[戯]
 私は必死で努力した。負けたくはなかった。というよりも、負けを認めたくなかった。自分の普通じゃない部分、アイデンティティを失いたくなかった。最初からそんなものはなかった。けれども、何処かに、特別な自分がいるような気がして、その妄想だけが、私の原動力だった。


[神]
 私はこれから剣士となり、クラスメートと戦う。


 覚悟なんてものはない。「今まで通り」戦うだけだ。
 勝つのか負けるのか、それは私が決めることではないし、私の対戦相手が決めることでもない。
 全ての観測可能性を一つに収束させたとき、それが誰かに観測されたとき、その事象は確定する。
 私の今の状態は、観測可能性の重ね合わせで出来ている。箱を開ければ、勝った私か、負けた私が、そこにいる。けれど、間違いなくそこにいるのは私。


[死]
 死の匂い。人の死の匂い。
 人の死を思い描くとき、何処からともなく漂ってくる。今までは、小説の描写でしか知らなかった。しかし、それは今、現実を伴っている。それは血の匂いでも肉の匂いでもない。それはどんな匂いとも似ていない。強烈な不安と強烈な安堵の混じった匂い。どちらかと言えば、雰囲気に近い。けれども、それは匂い。
 聖域の施設で生き返るとはいえ、一度は「死」ぬのだ。
 激しく心臓が暴れるような感触。実際に鼓動は速くはなっていないが、全身を巡る血液が酸素をいつもより多く運ぼうとしているのが分かる。


[生]
 まだ。まだだ。私はまだここにいる。正しく、ここに存在する。
 紅いナイフを具現化したときから思い描いていた絵は、まるで戯れ言のように、今目の前で画(え)となって。
 そのナイフは、今はまだ手許にない。それは今、私の血液と混じり、全身を巡っている。
 これからどうなるのかはまだ知らない。
 けれど、私は何れ死ぬのだ。それは100年後かもしれない。それは明日かもしれない。それは1秒後かもしれない。それだけは真だ。ならば、眼前の戦いから目を逸らすことは出来ない。生の可能性は、決して1にはならないけれど、1に近づけることは可能だから。


[猫]
 シミュレーション。思い、祈り、自らの存在可能性を星星の巡りと重ね合わせ、相手に死を叩き込む。
 妄想は何れ破綻する。それは自明だ。
 ただ、私は誰よりも速く死のイデアを打つ。
 ただ、それだけだ。


[True or False ?]
 神科戯華。

m100 舞台裏、或いは単なる雑談

電話にて。


「もしもーし。戯華ーどうやら二年一組の中で勝率トップらしいじゃない。おめでとう!」
「……。」
「……もしもーし。なんとか言いなさいよー。」
「あ、いや、うん。そのようね」
「勝率一位なんだからもっと素直に喜びなさいよー。」
「うん、まあそれはそうなんだけど。まだ第零回戦を突破できるって決まったわけじゃないし」
「いや、戯華ならきっと突破出来るって! 勝率80%超えてるんでしょ?」
「それでも、私を下す生徒はいるわ。その人と当たったら負け」
「いまからそんなに悲観的でどうするのよー。」
「……。
 あなた、あなたが明日よりあとまで生きている確率は、きっと今日死ぬ確率よりずっと高いわ。
 それはもう、80%どころではない。もうほとんど、あなたは今日を生き抜けるといっていい。
 ……それでも、今日死ぬ確率は、ゼロじゃないの。
 わかる? ……私は、死ぬのよ。あなたが思っているよりも、ずっと簡単に」
「それでも、……」
「というか、あなたが私を殺せる生徒の筆頭じゃない、零歌。
 あなたがここにいなくて、本当によかったわ」
「それはどういう……」
「まあ、せいぜい生きて帰ってこられるように、頑張るわ」
「……そうよ! 絶対生きて帰ってきてね! 私以外に殺されるなんて承知しないんだから」
「その台詞、結構危険だから口に出さない方がいいわよ。
 ……それじゃ。そろそろ切るね」
「うん。頑張ってね!」
「……」
「…」


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第零回戦、勝ち抜けると良いですね。

マーガレット・ハンドレッド 第零回戦

名前 :神科 戯華(カミシナ ザレカ)
身体性能:5/0/0/4
剣 :デス剣、黙祷剣、黙祷剣、残響剣、星霜剣


設定:
星星の巡りに循環する妄想の久遠の果てを抜け出す鍵を見つけた少女。
妄想癖は割と酷いが、
ノートに書き留めたり口に出したりなどのアウトプットをしないので、
今のところ誰にもバレていない様子。


天文部所属。


オーナー :クウシキ
URL :http://twitter.com/kuushiki

5/0/0/4/死黙黙残星

どうせメタられるんでしょうが。


途中でループが止まるのは仕様です。
ただ誰より速くデス剣を打ちたかったのです。


あ、ちなみに、模擬戦の壱禍 零歌(イチマガ レイカ)とは、幼なじみです。
零歌は緋森高校1年生という裏設定。

『紫色のクオリア』うえお久光

今まで読んだありとあらゆる作品の中で一番衝撃を受けた。
残念ながら僕が感じたクオリアをこの文章を読む人には伝えられないけど。


僕は、例えば「クオリア」や「哲学的ゾンビ」や、
それら以外の哲学的用語について、
哲学的な何か、あと科学とか』くらいでしか知らないけど、
僕には、どうやら作者は、
クオリア」という単語の意味を若干理解していない(或いは"捻じ曲げて"利用している)みたいに感じる。
それでも、この作品の価値は別のところにあるから問題ない。(と、思う。)



人間がロボットに見える目を持つゆかりの感覚。
そして実際に人間とロボット(機械)を同一存在として見做し、
同一存在として"存在させる"ゆかりの能力。
これは明らかにゆかりの「超能力」であり「魔法」である。
僕らは、その(不可思議な)力を(現実に)観察することはできない。
ならば、彼女は存在しないのか。
否。
確かに『紫色のクオリア』という作品の中に、彼女は存在する。


作品中、"汎用性のある"ガクは、ゆかりの世界を受け入れたが、
七美はその世界を受け入れられなかった。
即ちこれは、読者がゆかりを受け入れるか、受け入れられないかの対比に等しい。
ガクの受け入れた世界によって、ガクは新たな自身の"可能性"の力に目覚める。
そしてガクの"可能性世界"は、僕ら読者の"可能性世界"に等しい。
275ページから始まる、ガクとゆかりの会話は、
読者(作品外の世界)と登場人物(作品内の世界)の会話だ。
読者はあらゆる"解釈"を作品に与える。
読者は作品内のあらゆる登場人物に"なりきる"ことができる。
しかしそれでも、ゆかりの死(作品の結末)に、読者は干渉できない。
作品に、『あたし』は存在しない
登場人物が感じている「クオリア」を、読者は永遠に感じることはできない。
だから、最後に、物語が終わるときに、読者は目覚めなければならない。

 ――すべてはあたしの、長い長い、夢でした。
 でも、もう、目を覚まさなければいけません。
 おとぎ話にたとえれば、――お姫さま、なんて柄ではないけれど、キスされてしまいましたから。
 まどろむのは気持ちいいけれど、いつまでも、寝ているわけにはいきません――

うえお久光,『紫色のクオリア』,1/1,000,000,000のキス,302p.より

ここまで来ると、ゆかりが持つ力は、"作者の力"であることも理解できる。
登場人物に"力"を与え、
作品世界(登場人物だけでなく、生物無生物全て)に"魂"を与えるのは、
間違いなく"作者"だ。
物語を作るのは、作者であり、読者ではない。
けれども、同時に、
作品を読むのは、読者だ。
読者は物語には干渉できないが、しかし物語を鑑賞できるのは唯一読者だけ。
あらゆる『可能性』を『確定』させるのは、読者である


          • -

……さて。
とまあここまでよく分からない講釈と解釈を垂れ流してきましたが、
上に書いてあることは僕の感情の一部です。
読書感想文を書くつもりは毛頭無かったのですが、
とりあえず頭に思い浮かんだことを適当に書いていったらこんなことになりました。
実際に僕は本を読んで切るときにこんなことを思ったわけではないので、
悪しからず。
上に書いたことについて反論とかしても困りますよ。僕は知りませんからね。
「はいそうですか。では、それが貴方のクオリアですね」とか言って逃げるからね。

 「あたしの運命を変えられるのは――変えていいのは、あたしだけで、ガクちゃんに、そんな権利はないんだよ?」


うえお久光,『紫色のクオリア』,1/1,000,000,000のキス,284p.より

ご無沙汰してます。
みなさん元気ですか。私はきっと元気です。


更新が滞っていてすみません。
果たしてこのブログにどれだけ期待されているのか知りませんが。
そのうち更新再開したいと思っています。



ついったーをはじめたりしました。
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